リオンについて

時間変調伝達関数(TMTF)測定の可能性を探求

2022.08.25


TMTF のモデル化
変調度の閾値は、低変調周波数の範囲ではほとんど変わらず、ある変調周波数を超えると変調周波数が増加するにつれて上昇することが報告されている。このことから、時間変調伝達関数(Temporalmodulation transfer function, TMTF)は、ローパスフィルタの形状で近似できるといわれている。 そのためTMTFは、ローパスフィルタのパラメータである低変調周波数における変調度の感度(Lps)とカットオフ周波数(fcutoff)の2 つの値で表現可能であるといわれている。



臨床現場での応用を目指し、時間変調伝達関数の簡易測定法を提案

長年、補聴器の研究・開発を行ってきたリオン。開発チームは日々、様々な人間の聴力に関する問題に向き合い、様々な種類の難聴に適応可能な補聴器の研究を重ねている。日本では65歳以上の人口が全人口の27%を超え、世界に先駆けて超高齢社会に突入している。今後加齢に伴う難聴者の数も増加すると予測され、高齢者の難聴対策や補聴器の活用は、健康長寿社会実現のために重要な課題と考えられている。また、難聴も認知症の危険因子の一つであることが報告されていることから、難聴の発症予防や早期診断・早期対応が求められている。
難聴を自覚するとまず耳鼻咽喉科を受診し診療を受けるが、難聴の程度を把握するために多角的な検査が行われる。一般的に難聴とは、「耳が遠くなった状態」、つまり「小さな音が聞こえない状態(最小可聴閾値が上昇)」という認識である。そのため、難聴者に対しては大きな声で話しかける、補聴器等で音を増幅するといった対応がとられる。しかし、難聴になると、最小可聴閾値の上昇に加えて、リクルートメント現象陽性、周波数選択性の劣化、時間分解能の低下が認められるといわれている。このような聴覚に備わる能力の低下により、大きな声で話しかけたとしても、特に雑音環境下では、言葉の聞き取りが健聴者に比べて困難であることが指摘されている。そのため、難聴を補償するためには、このような聴覚に備わる能力それぞれに対して正しく補償する必要がある。


こうした背景からリオン技術開発センターの森本隆司は、時間分解能指標の一つ である、聴覚系の時間応答特性を理解しやすい形で表現した「時間変調伝達関数 (TMTF)」に着目した。
「周波数選択性やリクルートメント現象については、臨床現場で測定可能な方法や それら能力を補償する技術が搭載された補聴器がすでに開発されているんです。しかし、時間分解能については、この能力を補償する技術が搭載された補聴器の開発までには至っていないのです。これにはさまざまな要因があるのですが、補償技術を開発・調整するためには、実時間処理に応用可能である指標を短時間で測定しなければなりません。指標としてはTMTFが挙げられますが、TMTFは測定に時間がかかるという問題がありました。そのため、TMTFの簡易測定法を提案し、測定時間を10分程度にすることに成功しました」
従来の測定では30〜40分ほどかかるところを約1/3 に短縮したのである。




時間分解能とは
聴覚における時間分解能とは、「音の振幅包絡の時間的な変化を検出できる」能力のこと。この時間分解能の低下を補償する「技術が搭載されている補聴器」は現時点では存在しないものの、時間分解能が低下した場合の聞こえの模擬や、時間振幅包絡を強調する処理が検討されている。



誰も気づかなかった「2点測定」という着眼点

提案されたTMTFの簡易測定法は実にシンプルだ。TMTFは、通常7点以上の測定結果により表現されるが、この形状は、1次のバタワースフィルタの形状に近似していることが報告されているため、2つのパラメータで表現できるはずである。そのため、低変調周波数(図の)における「変調度」の検知閾(図の)と、その検知閾よりも大きい変調度(図の+)における「変調周波数」の検知閾(図の)の2点の測定結果のみで、TMTFを推定できる可能性を示したのだ。
簡易測定法の評価を行うために、健聴者26名、難聴者21名に対し、従来法と簡易測定法で実験を行い、それぞれで得られた測定結果をもとにTMTFを推定した。
「この簡易測定法の妥当性および有効性を評価するために、健聴者と難聴者において、従来法と簡易測定法を用いてTMTFを推定しました。この二つの推定結果の間に相関関係が認められ、系統誤差が認められなかったのです。また、簡易測定法は10分程度と、従来法の約1/3の時間で測定できることから、臨床現場や補聴器フィッティング現場でも測定可能であることが実証できました。難聴者の多くは高齢者のため、長時間の測定では疲労や集中力の低下から正確な測定ができなくなる可能性が考えられます。加えて臨床現場や補聴器フィッティング現場では、時間分解能の測定だけではなく、聴力レベルや語音明瞭度の測定も必要となるため、一つ一つの指標は短時間で測定できることが好ましいことなんです」




今回の森本の功績は、難易度の高い技術を開発したというよりも、誰も気づかなかった「TMTFを2点のみで推定する」という点に着眼したことだ。ただ、この簡易測定法が臨床現場や補聴器フィッティング現場で広く応用されるためにはまだ課題がある。
「臨床現場で測定される自覚的検査のほとんどはオージオメータに搭載されています。そのため、簡易測定法もオージオメータに搭載されることが望ましいのですが、一般的なオージオメータの検査で行われるような1〜2つのボタン操作だけでは測定の実施が難しいんです。また、測定時間についてもさらに短くなることが好ましい。まだまだ研究が必要ですが、引き続き臨床応用を目指し、提案法を改良したいと思っています」



【周波数選択性】
音を周波数領域で分析する聴覚の能力。この周波数選択性を補償する技術としては、スペクトルのコントラストを強調する処理を用いることが考えられている。

【リクルートメント現象】
音圧が上昇すると、健聴者に比べて音がより大きくなったと感じる、つまりラウドネスの変化が大きく感じるようになる現象。補償技術としては、補聴器の入力音圧が小さい場合は大きく増幅し、入力音圧が大きい場合には増幅を抑える圧縮機能が挙げられる。



取材・文/横田 可奈